☆心の出逢いにありがとう☆〜明日は明日の風が吹く〜

山あり谷あり、波瀾万丈の人生を、明るく乗り越えています☆

☆人生を変えた恩師☆

入院中に、高校時代の恩師から電話があったと
主人から聞いていたので、退院してから恩師に
電話をかけた。
入院前に、手術や入院することを恩師に手紙で
報告していたから、心配してくださっていたの
だろう。
高校時代、不登校になってひきこもっていた私を救ってくださった恩師。
父親が亡くなって32年になるけれど、
恩師が、第2の父親だと思って生きてきた。
恩師のおかげで無事に高校へ通い卒業できた。
もし、高校時代に、この恩師との出会いがなければ…
私はどうなっていたのだろうと思うと
身体が震える…
10代の子どもたちが、簡単に死を口にする気持ちが、私にはとてもわかる…
私の場合は、やはり家庭環境に悩まされていた。
それでも、中学卒業までは、友人たちに恵まれて、外では楽しかった。
けれど、高校へ入学したら、それまでの友人たちから全て離れて、何もかもが、新しいものばかりになった。
今でこそ、誰にでも話しかけられるおばちゃんになったけど、
当時は、新しい出会いには慣れてなくて、
自分から話しかけられなかった。
そして、いきなり鬼のようなおばちゃん先生との出会いがあって、心が萎縮してしまって、
怖すぎて、高校に行けなくなった。
入学してすぐ不登校になった。
今でこそ、不登校の生徒は多くなったけど、
当時は、「不登校」という名もなく、
「登校拒否」と呼ばれていた。
そんな生徒、聞いたことないって言われた。
周りの大人たちから、世間体が悪いと責められ、
担任の先生からは、義務教育じゃないから退学しろと言われ、ひとりでもそんな生徒がいると担任は困るんだと吐き捨てられた。
家に引きこもりながら、大人なんてみんな大嫌いと思いながら、いつも「死」のことを考えていた。
ところが、そんなある日のこと、家庭訪問に来たのが、恩師だった。
担任でもないのに、会議にかけられた私のことを、もう一度私にチャンスを下さいと挙手して、家に来てくださったのだ。
誰が行っても無駄だと言われながら…
初めて、「心と向き合ってくれた」先生が現れて、大人は大嫌いだけど、この先生だけは信じれる気がすると思えた。
生まれ変わったような気持ちで、勇気を出して登校した。
毎日が、吐きそうなほどしんどかった。
みんなから遅れてしまって、勉強もわからない。
ますますクラスに溶け込めない。
鬼のようなおばちゃん先生に耐える。
1日1日が、早く帰りたいの一心だった。
けれど、いつも恩師が見守ってくださった。
この恩師のことは、裏切れない。
友だちが、2人できた。
それだけで、その1年頑張れた。
高校2年になったら、クラス替え。
当時は学年だけで、600人もいたので、
不登校していた自分を知る者はあまり居ない。
2年生から、生まれ変わることにした。
恩師が常にアドバイスをくださった。
この恩師のおかげで、生まれ変わることができた。
卒業後も、ずっと、おばちゃんになった今でも、
何かあるたびに、恩師に報告している。
人は、報告できる人がいると、
どんなときも頑張れるようになる。
報告するために、乗り越えるからだ。
何にも怖い物がないようなおばちゃんの年代になったけど、
実は、毎回、恩師に手紙を書いている。
自分が、くじけないように。
自分を見失わないように。
父親亡き後、厳しいことを言って教えてくれるのは、恩師だけになった。
私が、10代の時に、死なずにすんだのは、この恩師のおかげ。
一生、感謝の存在だ。
恥じない生き方をしなければと思う。
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☆幼馴染からのレモンケーキ☆

退院してきたら、幼稚園時代からの幼馴染から

贈り物が届いた☆










レモンケーキ、とても美味しかった(^O^)









幼稚園時代からの友だちは、


幼稚園に入園する直前に、隣の家に引っ越してきて…

それから一緒に幼稚園に通い、

小学校に通い…

すぐに友だちの家は、隣町に引っ越して、

2年して我が家も隣町に引っ越したら、

偶然にまた、すぐご近所同士になって…


運命的なものがあったのだろう。

また小学校に一緒に通い、

中学校にも一緒に通った。

高校で、我が家がまた引っ越して…

それからは、暑中見舞いや年賀状だけのやりとりで、繋がるだけだったけど…


ネットの時代になって、ブログなどを見てくれるようになった。
去年、右の股関節の手術をしたときは、

病院までお見舞いにきてくれたけど、

話題は、幼稚園や小学生の頃の思い出話で花が咲いた。

全然、変わってないって、友だちは私のことを言うけど、おばちゃんになってるから、変わってると思うけど( ̄∀ ̄)
小さい頃の話って、面白いなぁ(^O^)

☆日常生活に戻る☆

退院して家に帰ったら、

飼い猫が出迎えてくれました(^O^)

覚えていてくれて良かった。

柱に頭をこすりつけたり、そばへ寄ってきて

喜びの表現をしてくれて、夜は私の布団の上で

寝てくれました(o^^o)






新入りの仔猫のほうは、まだ2階の娘の部屋のゲージの中にいるので、会えなかったけれど…。



1か月分の郵便物の整理や、トイレ掃除、お風呂掃除、玄関の掃除をしていたら、腰が痛くなったけど…、日常生活に戻れた喜びを感じた。



母親の入院先の相談員さんや、ケアマネさんに


退院してきたことを連絡したら、母親の退院も


今月の27日に決まった。



27日までは、少しゆっくりして、また母親の介護が始まる。



頼めるところは頼んで、ほどほどに無理なく頑張ろう☆

☆退院した☆

きょうの昼すぎから退院した。
今朝は、主治医や看護師さん、ヘルパーさん、
リハビリの先生たち、以前の同室の人たちや
別の病室で言葉をかけあったりしていた人たちに、挨拶に回ってきた。
退院するけど、一番風呂にどうぞと言ってもらって、入院最後の入浴も終えて、すっきりさせてもらった。
入院するとき、手術のことばかり考えて、
完璧に、パジャマや下着など入院準備をしてきたと思ってのに、
退院時に着て帰る服を持ってくるのを忘れてしまった( ̄▽ ̄)
「服、持ってきてー!」
朝から娘にLINEを送った。
前に同室だった人が、病室まで喋りに来てくれた。
美味しそうな和菓子も、もらった。

長い入院生活も、退院したいと思っていたけど、いざ退院したら、なんか淋しくなった。
帰るとき、エレベーターの前まで
主治医や看護師さんたちが、6人ほど見送ってくださり、嬉しかった。
みんなに親切にしてもらって、ありがたかった。
脚の痛みもなくなり、快適に歩けるようになって、10年ぶり…
良かった☆(^O^)

☆妹が来てくれた☆

きょうは、妹が病院へ来てくれた。
朝に母親の入院先の病院へ寄ってくれて
帰りに、私の入院してる病院へ寄ってくれた。
どら焼きを持ってきてくれた。





母親は、パーキンソン病の薬をやめてから、
また元気になってきたようで、きょうはたくさんお喋りもしてくれたと、妹は喜んで報告してくれた。
トイレもオムツはしてなくて、看護師さんの付き添いで、杖をついてトイレまで歩いて行ってくれてるそうで、安心した。
きょうは、ホールで、色鉛筆を持って塗り絵もしていたそうだ。
家でも塗り絵を買ったら、してくれるだろうか。
退院したら、塗り絵もさせようと思った。
母親の介護認定の査定が決定されて、介護保険証が、家に届いたと娘から連絡があった。
母親は、要介護 3になったそうだ。
今まで、要介護 1だったのだけど、3まで上がってしまった。
退院したら、ケアマネさんに電話をして、母親のことを相談しなければ…。
母親は、病院が居心地が良いようで、妹が私の退院のことを伝えてくれたけど、まだ病院に居たいと言ってたらしい。
それでも、今は法律が変わって、2か月までしか入院できないので、今月の末までは、母親には入院しといてもらおうと思う。
私も、今思えば、あっというまの入院生活だった。
今回は、術後だけが苦しかったけど、あとは、同室の人たちに恵まれたし、上げ膳据え膳の三度の病院食をいただき、気楽な入院生活だった。
退院したら、また、買い物へ行ったり、介護したり、息子の送迎したり、三度の食事を作ったり、掃除したり、洗濯したり…、日常が始まる。
飼い猫たちは、私のこと、忘れてないかな?
犬は、3日飼ったら、恩を一生忘れないらしい。
猫は、長年、飼っても、3日で恩を忘れると聞いた( ̄▽ ̄)
まぁ、迷信で、そんなことはないだろうけど、
リハビリの先生が
「何か、気になることある?」と聞いたので、
「猫が私のことを忘れてないかが気になります」
と言ったら、笑われた。
でも、そのぐらい、飼い猫の反応が気になる。
娘に聞いたら、私のベッドで猫が寝てるらしい。
早く飼い猫に会いたいな(^O^)

☆私にとってのドクターX☆

昨日は、20代前半の女性の作業療法士さんに付き添ってもらって、
杖をつきながら外に出て、病院の周りをぐるっと散歩をしてみた。
去年、私が右の股関節の手術をしたとき、研修で、来ていた学生さんが、今年はもう、作業療法士さんとして働いていたので、月日の流れの早さに驚いた。
急な登り坂も、下り坂も、サッサっと歩けて
うれしかった。
「ちゃんと歩けてるやん!!」と、どこからか声がして見上げると、リハビリ室の窓から、リハビリの若い男の先生が声をかけてくれた。
「先生のおかげです」というと、
「僕は、ただ喋ってただけ。頑張ったのはあなたです(^O^)」
リハビリの先生も、去年に引き続き同じ先生で良かった。
今回は、だいぶ左股関節が悪かったので、時間がかかると言われてたけど、早くに回復できて本当に良かった。
病室に戻ったら、手術の執刀医の先生が、突然現れて
「来ましたよ~!(^O^)/ もうだいぶ、歩けるようになったみたいですね~!見せてください、散歩しましょ!」
と言って、杖無しで、病院の廊下を一緒に往復歩いてくださり、時には後ろから歩き方を眺めてくださったりした。
手術の執刀医の先生は、30代後半くらいの若い男性医師で、週に一度だけ病院に来るのだけど、とても早いスピードで、風のように現れて、必要なことだけをパワーと笑顔をもって素早く語り、無駄話もしないで、風のように去っていく、ステキなヒーローのような先生だ。
「風のように現れて、風のように去っていく」と私が医師のことを表現すると、看護師さんたちがみんな「そうそう!そんな感じ。あっというまに居なくなりますよね」と笑う。
去っていく後ろ姿の白衣もマントに見えるのだ。
去年の手術のときも、堂々と自信満々に「大丈夫です。僕、今まで200人以上、手術してきましたけど、一度も失敗したことがありません」とてもポジティブな言葉ばかり言うこの先生を信頼して手術する気持ちになれた。
まさしく、私にとって、ドクターX。
人によっては、もっとゆっくりと時間をかけて喋って向き合ってくれる先生がいいと言う人もいて、評価はさまざまだけど、手術の腕がとても良ければいいんじゃないかと私は思って、とても高評価しているし、執刀医の大ファンなのだ(^O^)
無事に歩けるようになったことをお礼を言うと
「僕は手術しただけですから(^O^)/ 歩けるようになったのは、あなたの頑張りです!、退院してから1か月後、またレントゲンに来てください。じゃ、次は外来で会いましょう!(^O^)」と早口で言い終わらないうちに、風のように素早く去っていくので、カッコイイ。
良い先生に出会えて良かったなと思う。
(^O^)

☆一期一会を大切に☆

同室の80代の女性が、
「奥さんが退院されたら、淋しいなりますわぁ。話もたくさん聞いてもらったり、カーテンの開け閉めもしてもろて、色々世話になったのになぁ…」
何度も同じことを言ってくださる。
同室には、10日前に70代の女性が退院されて、その日にまた、60代後半の女性が別病棟から移動されてきたので、同室は3人だ。
けれど、移動されてきた60代後半の女性が、初めて来られたとき、挨拶もされず、知らん顔をされていて、珍しい方だなと思った。
去年、入院したときも、今回入院したときも、大部屋になったら、誰もが、「こんにちは~、よろしくお願いします」と、同室の人たちに声をかける。
内科や重症の病棟なら、そんな挨拶は無いのだろうけど、整形外科は手足以外は元気なので、同室の方と話したりして過ごすことが多いからだ。
その移動されてきた60代後半の女性が、知らん顔されていたので、廊下に出るときに入り口で出逢ったので、
「隣のベッドの者です。よろしくお願いします」と声をかけた。
すると、60代後半の女性は、
「よろしくお願いします」と愛想よく応えてくださり、それから、その日に何度か入り口や廊下で出逢ったら、言葉を交わすようになった。
ところが、この60代後半の女性が、同室の80代の女性に対しては、挨拶も全くしてあげないし、言葉もかけないまま、もう10日以上が経っている。
80代の女性は、誰にでも優しく物を言う方なのだけど、なぜか、この60代後半の女性には、ひとことも声をかけない。
最初に挨拶をしなかったからだろうか。
タイミングをどちらも失ったからだろうか。
初日にタイミングを失ったとしても
「遅くなって、すみません。よろしくお願いします」とか言って、病状を聞いたり、世間話などして、いくらでも、取り戻せると思うけれど…
それが、全く、お互いに完全無視なのだ…
どちらにともなく話しかけて、うまい具合に
みんなで話せるようにならないかと、試みるも、
どちらかが話に加わった時点で、どちらかが、全く話さなくなる。
どうしてかわからないけど、気になる。
先に私が退院すると思うので、私が退院したら、話すようになるだろうか。
それが心配だ。
80代の女性も、家に帰っても一人暮らしなので、1日も長く、病院に置いてもらいたいと願っておられる。
80代の女性は、若い頃、天ぷらやたこ焼きのお店をしていたらしく、ヘルパーさんの中には、昔、子どもの頃によく買いに行ってたという人との出会いもあった。
「小さい頃、よく買いに行ってたんです。似てるなぁ、もしかしたらって思ってました。こうして何十年経って、お世話させてもらえて良かったです」
ヘルパーさんの言葉に、80代の女性は、とても喜んでおられた。
人と人の縁て、やはり意味のあることなんだなぁ。
「必要なときに、必要な人と出逢う」
私も、手術の執刀医との出会いや、母親の内科の主治医との、うまいタイミングの出会いのおかげで、手術まで来れた。
良い医師との出会いがなかったら、まだ足を引きずり、痛みに耐えながら母親の介護をしていたんだと思う。
ほんの少しの出会いも、けして疎かにしてはいけないな…
人との出会いで、大きく運命も変わっていくのだから…。
一期一会を大切にしよう。

☆入院生活での学び☆

リハビリの先生から
「いつでも退院できるよ。主治医と相談して」
と、言ってもらえた(^O^)
昨日は、若い女性の作業療法士さんと、病院の階段の登り降りの練習をして、きょうは、空になった病院の浴槽で、浴槽の出入りの練習をした。
リハビリの理学療法士さんと、作業療法士さんのおかげで、無事に歩けるようになって、良かった(^O^)
きょうは、リハビリ室で、杖なしで、足早に歩く練習ばかりをずっとしていたら、さすがに疲れてしまって、血圧も下がってしまったけど、長年、足を引きずって歩いていた癖がとれて良かった(^O^)
入院生活は、術後が苦しかったりしたけれど、
いろんな人間模様を勉強できたし、
看護師さんやヘルパーさんの仕事ぶりを見て、毎日、何十人ものお年寄りの介助やお世話を見ていたら、自分が母親ひとりの世話に愚痴っていたのを恥ずかしく思えた。
仕事とはいえ、みんな大変だ。
お年寄りには、看護師さんたちが、いたれり尽せりなので、退院したくないというお年寄りの気持ちはわかる。
私たちのように一日も早く退院したい者とは、違う。
自分もまた、月日を重ねて、そういうお年寄りになっていくのだ…
同室の、80代の方と、親しく毎日お話させてもらって、母親の気持ちも考えて理解できるように学べた。
入院生活は、自分の股関節を治すだけでなく、
自分の日常も、改めて考え直すきっかけにもなった。
退院は、たぶん、来週早々になると思うけど、
いろんなことが勉強できて良かった。

☆誰か知らんけど☆

杖で、病院の廊下を行ったり来たりしてると、
「だいぶ、歩けるようになったやん!」と、違う病室の男性や女性の方々から声をかけられる。
みんな、知らない間に、見ているものなんだなぁ。
「歩行器、いきなり没収されたんです」と笑いながら言うと、
どこからか、大きな声で男性が病室から顔を出して
「その歩行器、俺んとこ、回ってきたでー!」
と言って
「だいぶ歩けるやん!もう退院できるんちゃう?」と言われた。
知らない男性たちや、女性たちと、なんやかんやと会話して、
「おだいじに~」とお互いに言って別れた。
誰か知らんけど…
リハビリ室へ行こうと、ひとりでエレベーターに乗ろうとしたら、お見舞いで来られたような、オバちゃんが乗ってきて、エレベーターの中で、二人になった。
「入院してはんの?どこ悪いん?」とその見知らぬオバちゃんに聞かれて、
「股関節の手術したんです~」というと
「あぁ、知り合いにもおるわ!大事にしぃや。無理したらあかんで!、ほんま、無理せんときや」
「はい、ありがとうございます」とお礼を言ったら、エレベーターの扉が開いたので
「どうぞ」と、開くのボタンを押して、オバちゃんに先に降りてもらった。
「ほな、さいなら~お大事にね~」とオバちゃんは言って去って行った。
誰か知らんけど、誰か知らなくても喋れる関西って、いいなぁ(^O^)
昨日の夕方、娘と主人が、着替えを持って来てくれた。
娘は、よく気がついて、ペットボトルの水も3本ほど持ってきてくれて、テレビカードも買ってくれた。
「まだ、入院かかるわ~」と言うと、去年の入院のときなら、娘は淋しそうに、困ったように、一日も早く退院してほしいと言ってたのに
今回は、家事にも慣れたのか、自信がついたのか、
「お母さん、ゆっくりしといたらええわ。まだ退院せんでもええやん」と言われた。
なんか、わずか1年で、子どもって大きく成長するんだなぁ。
主人も、娘が頼りになるようになってきたので、今回は、退院はまだかと言わない。
私も、退院したら、母親も退院させて、また介護が始まると思ったら、一日も早く退院したいと、医師に言わなくなった。
ま、運命の流れに任そう…。

☆歩行器から、杖へ☆

今朝、一番に、病室にリハビリの先生が来て
「歩行器を取り上げるから、杖だけでよろしく~!」
「えーっ、いきなりですか」
「歩行器足らんから、次、他の人に貸したいねん」と言うので、
あわてて、杖をついて歩く姿を先生に見てもらった。
「こんな感じでいいですか?」
「大丈夫、歩けてる!杖なくてもええぐらいや」
と、いきなり歩行器を没収されて杖になった。
術後1週間は、具合が悪すぎて、高熱が続き、氷枕をずっとしてもらってて、吐き気も止まらず、食欲もなく、どうなることかと思ったけれど、食欲も戻り、なんとか元気になってきた。
何より、長年の脚の痛みが消えて、脚を交互に動かして、サッサっと歩けるようになれたことが嬉しい。


リハビリ室に行くと、先生が、杖無しでも歩けると言って、大きな鏡を出してきて、その鏡に向かって歩く練習をした。
前に同室だった女性が、リハビリ室に入ってきて
「わあ!歩いてるー!あかんあかん!私より先に歩けるようになったら、あかんでー!」と言って騒いでいた。
この人工関節も、ほんの10年ほど前は、手術しても、15年したら、また人工関節の交換の手術が必要と言われてきた。
けれど、今の人工関節は、30年40年持つと言われている。
医学の進歩は、素晴らしいなぁ。
人工股関節も、禁止の態勢もいくつかあって、
正座もできないし、かがむ姿勢も良くないし、完全に自由ではないけれど、激痛がなくなって、歩きやすくなったことで快適になった。
歩幅も大きく歩けるし、足早にも歩けるようになれたし、何年ぶりだろう…
もうすぐ退院できそうなので、病院から生命保険各社に、入院給付金の書類を送ってもらうように電話をした。
リハビリの先生は、せっかく歩くのであれば、綺麗な歩き方をして退院してもらいたいと言うので、まだ1週間は、退院は無理かもしれない。
でも、一生懸命に努力して頑張ろう☆
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プロフィール

夢蓮花☆

Author:夢蓮花☆
波瀾万丈、人生は思いがけないことばかり。
落ち込んだり、悲しんだり、苦しんだり、それでも
出口のないトンネルは無いことを信じて、どんなときも
笑顔で朗らかに生きています☆

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